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大人のSM 〜女子のM願望、M女性願望は「イケナイこと」なの?

近年「SM」という言葉に抵抗感は減り、気軽に「ドM」といった表現をするようになりましたが、かえって本物が見失われていないか?依然として女性のM願望、M女性の本当の願いは満たされていないのでは?

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さて、暫く間が空いてしまいました。
前回まで、概ね高校1年頃迄の自分の中の性的欲求について、振り返って綴ってきましたが、
今回は、その先に進む前に、一旦(0)として、更に幼い頃に遡っての記憶を振り返ろうと思います。

それは・・・

所謂"DID"(Damsel in Distress)と呼ばれる傾向のものでした。


まだ幼い頃のことで、1970年代初めの頃だと思いますが、
多分幼稚園に上がるよりも前=4歳か3歳の頃だったと記憶しています。
つまりは、約40年前後昔の話です。
それ以上のことは、幼少時だったゆえ、明確には記憶にはありません。

それはまだ寒い2月のことでした。

実家の居間の壁に、どこかで両親が買ってきたのか、
どこかの業者等から貰ったのか、出典は明らかではありませんでしたが、
ギリシャ神話を毎月の挿絵のモチーフとしたカレンダーが掛けてあったのです。
恐らく、作者は各月とも同様の画調でしたので、
同一の方の手によるものではなかったかと思っていますが。

しかし、その年の、1月、および3月以降の挿絵が
どのようなものであったかは、全く記憶にありません。
例えば、ヘラクレスであるとか、トロイの木馬であるとか、
ギリシャ神話のその他のエピソードであったという記憶だけは残っていますけれども。

ですが・・・。

2月のそれだけは、およそどのようなものだったか、記憶に鮮明です。

既に、お分かりの方はいらっしゃるでしょう。

それは、
「岸壁に繋がれた全裸のアンドロメダ姫」でした・・・。



まだ寒い季節、部屋の中に居ることの多かった2月です。
幼かった私は、その絵柄に、いつしか魅せられていました。

カレンダーは、毎月月毎に、ベースの色がスノーホワイトであったり、
アクアマリンのような色であったり、臙脂色だったりと様々でしたが、
その2月分は、暗めの山吹色に染まった色合いでした。

毎月、その月毎に基調とされた色、2月なら山吹色一色に染められていて、
絵柄自体は、その基調とされた地の色の上に、
点描画かあるいはデッサンのような形で(ここはあまり明確な記憶ではありません)
若干幻想的に描かれていました。

 ***

・・・岸壁に繋がれたその若い女性は、
高い鼻とわずかにウェーブのかかった長い髪と細い顎、理知的な面差しを持ち、
今から思えば、高貴で知的な西洋的美人であったことは記憶にあります。

その表情と言えば、長い睫毛と共に瞳を伏し目がちにさせ、
その瞳は、あたかも憂いであるかのような暗く鈍い光を帯び、
何かに諦め切った様子で、虚ろに虚空に視線を這わせていました。

そして、その憂いを帯びた潤んだ瞳と、
震えているように半開きとなった唇は
何かを恨めしく思っているような、そんな表情を見せていました。

なぜ、そんな表情だったのか?当時の私にはワカルわけもありませんでしたが、
その憂いを帯びた官能的な表情だけは、記憶しています。

それから、どうやら、海岸の岸壁であったことは、今思い出せます。
そして、岩場に繋がれた彼女は、全裸。
いえ、厳密に言えば、手枷が鎖によって繋がれていました。
足首まで見えていたかは、記憶にありませんが、
少なくとも、太腿辺りまでは描かれていたと記憶しています。
それより下は、水に浸かっていたようにも、
今にして思えば思えますが、記憶は明確ではありません。

白い首筋を微かに曲げ、
今にも乳液が滴り落ちそうな豊かな乳房と、
(当時のことですから、表現をかなりボカせていたのだと思いますが)
黒く陰鬱な下腹部を露わにしたまま、
来たるべき暴力の嵐を、覚悟を決めて待っているかのようでした・・・。

空は、陰毛と同じように陰鬱な荒天であることが、
空の暗さと雲の厚さで表現されていました。
光など、ほとんど差さない、暗い空。
天上の片隅には、(あとで思えば、あれは
)救出せんとするペルセウスの姿でしょう。
何か天使のような姿が、僅かに隠れているのが見えたのですが。
が、彼女は気付いていませんし、
この地獄のような淫らな絵の中では、
極めて扱いの小さい、脇役です。

そして、海の彼方には、得体の知れない、
尻尾を持った醜悪な怪物が描かれていました。
彼女を餌食にしようとする海の化物・・・でしょう。
恐らく、男の性欲やサディズムを象徴していたのでしょう・・・。

それも記憶があります。

長い髪は、ところどころその美しい裸体を隠してはいましたが、
両の乳房と下腹部、太もも等の肝心な?部分だけは、
敢えてあからさまに描かれていたのでした。


当時、まだ母親と入浴していた私には、
その姿は、風呂場で見る母親の裸と同じような形でありながら、
それよりもずっと魅力的で、かつ、ひどく煽情的なものでした。

(勿論、当時の私がこのような言葉で自分の感覚を語ることはできませんでした。
 ですが、あの瞬間の感覚を今思い起こして、
 言葉にすればこんなことになる・・・ということです。)


そして・・・
そんな想いでその挿絵を見ていた私は、自分の中のある変化に気付きました。


それは、熱い、男としての「滾り」です。

医学的表現を用いるならば、「勃起」です。
それは、私のオスとしての、目覚めの瞬間でした。

煮えたぎるような熱さが下腹部を襲い、みるみるうちに、
まだ包皮で包まれているばかりの小さな陰茎が、
熱く、堅く、そして上向きに自己主張を始めたのです。


勿論、射精に至るのは、以前の記事にも記載したように、
もっと後のことでしたが、勃起だけは、既にこの時点で・・・。

私はその時、直感的・本能的に、
「これは親には言えないこと・言ってはいけないことだ」と判断し、
記憶が正しければ、今に至るまで、
そのカレンダーの挿絵に淫らな想いを抱き勃起したことは、
一度も親には言っていないはずです。


勿論、もしかしたら、それより以前にも私の肉体に、
勃起という現象はあったのかもしれませんが、
少なくともそれより以前に勃起したという記憶は私にはなく、
私の中では、最古の勃起の記憶と言うべきものです。

つまりは、自覚された性的興奮・・・という点では、これが最も古いものだということです。

 ***

それが、実はギリシャ神話のアンドロメダ姫だった、
ということは当然その時にはわかりませんでした。
その約2、3年の後に、親から「ギリシャ神話」の物語の本を買い与えられて読んだ時にも、
その淫らな記憶とはリンクしませんでした。

しかし、やがて少年期に入っても、そのカレンダーの挿絵がとても強烈で、
自分の記憶の奥底にずっと潜在的に性欲を刺激する記憶として眠っていた私は、
(おそらく射精を覚えた11歳の頃前後だと思いますが)いつの間にか、
「あの淫らな挿絵は、アンドロメダ姫だったのだ」ということに気付いてしまっていました。
そう気付いた経緯だけは、何故かはっきりとは覚えていないのですが。


思えば、その後の幼少期には、よくあるS男・M女の多くの場合からご多分に漏れず、
時代劇やヒーロー物等の「活劇系の」TV番組で、悪代官・悪漢が若い女性を捕虜とし、
左右の乳房の上下を縄で括り出しながら(当然着衣のままですが)いたぶりつつ、
主人公による救出につなげる、といった展開には、
いつも密かに興奮をしていましたし、
(これもまたよくある話でしょうが、
 「おいおいヒーロー、お前助けに来るのが早過ぎるぞ、無粋なヤツ!」
 などと、空気の読めない(笑)ヒーローに苛立ったりもしました。
 もっとも、後年、諸々の資料から読むと、
 そもそもそういった番組の現場の制作スタッフのうち、
 好色な方々が、言わば自分の趣味で、
 故意にそういった演出をしていたこともあったという話も、
 あったとかなかったとか・・・)

その数年後の小学校の頃には、
一番好きになった女の子には、今なら「ハラスメント」とも呼べるような意地悪を
言ったりしたりを繰り返し、ちょっかいを出しまくっては最後には怒らせるだけでは気がすまず、
その子がもう返事ができなくなって泣かせるまでのことをしたりするのが大好きな、
とんでもない少年となりましたし、
(実はちょっかい出されたい、、と秘かに思っている女性が好きなのはこの頃からのようです)

そして、完全に男性としての機能に目覚めた以降は、
女性を縄で緊縛し、首輪を嵌め、手枷足枷で拘束しては
その性的羞恥心を刺激し続けることに魅せられるという、
S男性となってしまった訳ですが、

そうした源泉は、全てここにあったのかもしれません。
誰でも性的な経験に関しては、何か引きずるであろう、
(私にとっての)「トラウマ」という呼び方になるのかもしれませんが。

すなわち、「捕われの姫君」 です・・・

そして・・・
何をされてしまうのか・・・
姫君はどうなってしまうのか・・・

当時幼児だった私には、そんな発想や言葉は当然浮かびませんでしたが、
それでも、「凌辱」「調教」「緊縛」
そんな言葉に繋がる感覚を、既に味わっていたのは確かでしょう。


あのようなエロチックな絵画は、現在でもそうですし、
写真の発明される以前の時代においてはなおのこと、
好色な画家たちが、「芸術画」と称して、
一種の「春画」を描くための口実としていたようですが・・・

今の私にしてみれば、実によくわかる発想です。


また、敢えて不必要な深読みをするならば、
本文でも少しだけ触れましたが、あのアンドロメダ姫の姿こそ、
「何か、恐ろしげな怪物=男の性欲 に、
 自分の美しい肉体は晒される運命にあって、
 それを恐れているけれども、
 その餌食になり=淫らな地獄に堕ちてしまいたい・・・と、
 心のどこかで秘かに期待して待っている、
 そんなマゾヒズムを秘めた乙女の心」
を、象徴させているような気がしてなりません。

救いに来る英雄・ペルセウスについての解釈は、敢えて省いてしまいましょう。

こんな画に、痺れる、あるいは興奮する、という男女は多いでしょう。
そんな方には、コメントいただけたら幸いです。

(参考)
Damsel in Distress:
http://ja.wikipedia.org/wiki/Damsel_in_distress


春画:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%94%BB

アンドロメダー:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%BC

 ***

それにしても、あのカレンダーのページは、今再び見ることができるのなら、
入手し、見たいものですが、一体どこの会社や作者が制作したカレンダーであったのか、等は一切今となっては不明ですので、最早二度と見ることはかなわないでしょう・・・。
当時は当然ですが、今も両親に訊くこともできず(仮に無理に訊いてみたところで、覚えている訳などありません)

いつか、記憶のみを頼りに、自分で復元してみたいとは思っていますが。。

(もし、お心当たりのある方がおられたら、是非ご教示ください。
 おそらく、1970年~1972年のいずれかの年のものだと思われます)


今も、濃い目の、暗めの山吹色を見るとあの画像が脳裏に鮮やかに甦り、
そして、私の精液を滾らせる淫らな瞬間が訪れるのです。
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さて、性に目覚め、それも、主にレイプ小説のようなものを、好みのジャンルと位置づけていた少年時代、そのこと自体に、私はそれなりの罪悪感を覚えていました。

そして、高校に進学し、体には毛むくじゃらに体毛があちこちに生え、自身の男性としての機能も発達し、男性器も成長をしていっていることを日々自覚しだした頃、一つの転機が訪れました。


それまでも、強姦小説を時折読むような淫らなインテリ少年と化しつつあった私は、とある官能小説(強姦小説)に、出会いました。
ところが、それはただの強姦小説ではなかったのです。

今でも記憶しています。

それは・・・

愛奴を狩れ (1983年) (サラ・ブックス―ラブ・ハンター)愛奴を狩れ (1983年) (サラ・ブックス―ラブ・ハンター)
(1983/12)
蘭 光生

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というタイトルでした。

この本は、現在では絶版のようですが、古本は流通しているようですし、
以下のサイトでも、電子書籍として販売されており、さわりの部分の紹介もされています。

http://www.go-san.com/author/i/99132.html
http://www.nifty.com/san/digest/san05894.html

この小説は、SM的行為、すなわち、緊縛等の行為を要素とした、
主に強姦をテーマにした短編集であり、
そこには、一定のストーリー性はありながらも、
基本的には、ただただ女性を性の標的とする極悪卑劣な行為のオンパレードに、見えました。一見。

ところが・・・

その展開の中で、強姦魔と、被害者の女性は、仲睦まじくシャワーを浴びている
・・・といったような描写があったのです・・・。

いえ、女性一般に被強姦願望がある、というのはある面真実でもありましょうが、ある面幻想であり神話でありましょう。

ですが、その議論の当否はともかく、私はその一フレーズが、とても衝撃に思えたのです。

作者の蘭光生氏は、おそらくそのような意図でこんな表現を用いたわけではないのでしょうが、
まだ高校1年生だった私には、とても刺激的だったのが、
「緊縛」というSM行為によって犯された女性が、強姦魔と仲睦まじく・・・という箇所であり、
つまり、SM行為とは、それほどまでに女性を迷わせるものなのか、、、?という想いに至るようになったきっかけだったのです。

そうか、女は調教されると弱いのか、そうされると
それを以て男は、「女を自分の色に染める」「自分好みの女に作り変える」ということができることになるのだな、
と・・・
そう理解したのです。

若干正確性は欠けますが、おおよそそんな理解は当たっていた、と数年後に知ることになるのですが。

勿論、私のそのような理解は、あまりにも飛躍であり、また、小説の中の展開を、過度に一般論に拡げてしまった嫌いは否めないでしょう。当時、まだ私は童貞でしたし、性行為における女性側の心理、というものを理解するにはまだ幼すぎたからです。
勿論、SMを離れた、単なる被強姦願望伝説の当否、という点も含めて、です。


しかし、ともあれ、私はこれを機に、緊縛という行為を中心に、
単なる強姦モノから、むしろSMモノを、
自らのポルノグラフィーにおける最大のこだわりとしていったことは事実でした。


かつ、SMという行為を通じて、女性はどのようにその官能を変貌させることになるのか・・・
童貞である私には、摩訶不思議で、かつ、極めて魅惑的な世界のように思え、以後、もっぱら性衝動をSM、とりわけS男性としての視点で、追求していく素地がここに出来上がったことを自覚したのです。

ですが、まだまだその自覚はアタマでっかちな段階でした。

それを現実のものとして自分が関わっていくには、更に数年の歳月が必要となったのです。

次回以降では、その辺りの展開をお話ししていくこととしましょう。


以 上

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さて、性に目覚めた私の、SMへの目覚めは、次の段階でどのような展開を迎えたか、お話しすることとしましょう。

当時、中学に上がったばかりだった私は、既に前の記事で触れたように、少し上の学年の学習内容等を自ら勉強してしまう成績優秀生・優等生であり、(男子生徒に使う表現としてはおかしいかもしれませんが)ちょっとお高くとまった知性派を既に当時から自認していました。

私立等の中高一貫校に進みたかったが、家庭の事情で行けなかった自分としては、地元の公立中学校など、行きたくもありませんでした。実際、あの頃=1980年代初頭は、所謂「校内暴力」の全盛期でもあり、私のような青白きインテリ君には甚だ居心地の悪いものでしたので・・・。

そんな私には、周囲がバカに見えて仕方なかったのですが、しかし(当時から思っていたことではありましたが)性的なことで言えば、所謂(校内暴力を起こすような)「ツッパっている」連中の方が、先に進んでいたのだろうとは思います。

分析的に申せば、未だに私のSM観が、いささか頭でっかちであり、よく言えば「知性」に源泉がある、と信じているのも、この辺りの悔しさに根源があるのかもしれませんね。

  *****

さて、SMにおいては、とりわけ「知性」が重要である、と再三申し上げている私ですが、「SM」という極端な営みにまで至らずとも、「性への欲望」は、男は勿論、女性においては殊更に、知性や学歴の高い方ほど実は激しいのでは、という仮説は、やはり正しいと今でも思っております。

そのことについては、実際、「探求心が旺盛だ」とか、「日常のキャリア的な生活の中では抑圧やストレスが特に大きく、その反動だ」といった説明をされる方も多いものです。
その点に、基本的には私も反対したり否定してはいません。賛成しています。

ただし、それらは主として、欲求を促進させるためのファクターであって、むしろ、私がその本質において重要だと思っているのは、探究心や抑圧の反動というより、Literacy という要素です。

これも、難しいことではないのですが、私の場合を申せば、次の通りです。

性的な用語や概念、性行為の状況や機能といったものから始まり、そこにおいて男女の間で展開されるコミュニケーションの機微、、、そういった点も含めて、最初は父の持っていたポルノ小説の「文字から入る情報」がやはり認識のきっかけになったのは事実で、そして、不明な用語があれば、(親などに訊く訳にはいきませんから)キチンと辞書等で、時には医学事典を紐解いて調べて・・・といった形で認識・理解していったのです。

おかげで?中学に入る前には、実際の経験は無いにもかかわらず、男女の間でどのような営みが行われるのか(前戯や後戯、また、男根を膣に挿入してピストン運動を行い、射精をして・・・等といった具体的なレベルまで)については耳年増になっていたものです。
こんな方は、男女を問わず、多いのではないでしょうか?

このように、例えば私が医学辞典を見て女性性器の構造を知った、といった例等を見れば、確かに高学歴な女性が、特に淫らになるのは、探究心の現れだ、という仮説にも、大いにうなづけるものがあります。

しかし、そこにとどまらない、と私は考えています。

Literacy, ここで私は、単なる識字力の問題だけでなく、そこから派生する思考展開の能力までも含めて、定義しているからです。
そこまで含めなければ、Literacyを論じる意味が無いからです。

そこで重要なのは、人間の認識においては言葉が軸・中心になる、という点です。

勘の良い方であれば、この点ゆえに、「言葉責め」というものが、SMにおいて如何に威力を発揮するのか、という大テーマが生じてくるのだ、ということに既にお気づきでしょう。


言葉を紡ぐことで、更に想像力が膨らみ、想像が更に新たな想像を二次的・三次的に生み出していく・・・
そう、妄想の源泉だということです。

また、特に女性の方であれば、この点を論じられただけで、ご自身の中に疼く何かに気付かれた方もおありでしょう。ええ、その通りです。そんな貴女なら、きっと知性の高い素敵なマゾ気質の女です。
(勿論、なぜ、SではなくMだというのか?という疑問もおありでしょうが、その点については、また別途仮説をお示しすることにいたしましょう。)


・・・などと、言われたら、余計に疼いてしまいますか?



  *****

さて、話が横道に逸れましたが、本題に戻しましょう。
主に文字媒体で性的な情報を得ていた私は、次第にそれだけでは我慢ができなくなってきました。
当然でしょう。

おかしな話ですが、約30年前のあの頃と、今の私とで比べても、恐らく勃起力はそう変わらないでしょう。
今が弱くなったということは無いと思いますが、少なくとも、未だ理性や忍耐に乏しかった当時ですから、自分の中では、相対的に「暴力的な性的な欲求」は、今と比べて高かったのではないかと思います。

あれで、犯罪的な行為に走らなかったのは、自分の優等生的プライドのなせる業ではないかと今でも考えています。
つまり、性的にある意味でストイックになることを当時覚えた、ということです。
ですが、これも別の機会に説明したいと思いますが、その性的ストイックさは、SMと表裏一体であり、本質的には変わらないものではないかと思っていますので、このストイシズムが、私をS男性にさせた、という面はあるのではないかと思います。

そして、このことは、(おそらく説明を要しないと思いますが、敢えて後日説明いたしましょう)勿論、いかにして知的女性・高学歴女性・優等生型女性がマゾになるか、ということとも大いに関係しています。
いえ、むしろそこにこそ、最大の理由があると言ってもよいかもしれません。

(ここで敢えてご説明いたしましょう、と申し上げたのも、これについても、やはり勘の良い知的な女性ならすぐにお感じになったでしょうが、勿論、論じるための議論ではありません。あくまでも、より深く濃厚な悦楽を得るための議論です・・・。お分かりですよね?いくら私がいささか理屈っぽい人間だからと言っても、無益に議論はここではいたしません。とても素敵なことに、ここでは、いかなる理屈を言ったところで、そのすべては、悦楽に奉仕する存在としてのみ、存在するのです。)

 *****

そうなると、ただ性行為を行うことだけでも、10代前半の少年にはことごとく興奮モノの欲求の対象であるのに、無駄に頭が働くものですから、更にエスカレートしました。

今度は、ポルノ小説の濫読という行為に走ったのです。

頭でっかちな私ですから、女性のグラビアもさることながら(その興奮は否定しません)、そこにいかにストーリー性を付加するか、ドラマを展開させるか、言い換えれば、そこでターゲットとされる女性に、どんな想いをさせるか・・・・そこに関心が向いたのです。

ここが私のおかしな所でして、いかなる手法やテクニックで女性を籠絡するのか、あるいは感じさせるのか、といった方向よりも、受身となるはずの女性が、こうした性行為においてどのような心理・精神作用をもたらすのか、ということに関心が向かったのです。ただただ、犯せばいいのではない。。。
女性には強姦願望があるとか無いとか、未だに議論はあるようですが、仮に願望が無かったとしても、「される女性の側はどう感じるのか?」ということに・・・。

しかし、あくまでも私の関心事は、やはり極悪非道でサディスティックな暴力的な強姦行為であり、ひたすら「レイプもの」ばかりを追い求めていたのでした。

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ここで挙げた4作品は、いずれも、その当時ひそかに支持を受けていた、富士見書房という出版社(現在は再編により、かなり毛色の異なる系統の出版社になっているとききますが)から出ていた、「ロマン文庫」なる海外ポルノ(それも、古いものは100年以上前の古典的なものも多数含む)のシリーズものです。

私は、ある時書店で並ぶこのシリーズに惹かれてしまいました。
黒く洒落た装丁に暗示された悪魔的背徳感と、それが刺激する若い欲望。。
また、(すべてではなかったのですが)表紙や本文中に掲載された、金子國義氏の手に依る、どこか腺病質で儚げな、しかし極めて猥褻感の漂うイラスト・・・中には、少年が手に取ってレジに向かうのを躊躇わせるような、ある面露骨なイラストさえあったのです・・・

この表紙など、その代表と言えるでしょう。
 ↓
少女ヴィクトリア 表紙

しかし、そんなものに惹かれたのが、私の次の段階の疼き、でした・・・


このシリーズにも、勿論「年上の女性」モノや、「お洒落な誘惑」モノもあったのですが、やはり私が特に惹かれたのは、凌辱モノでした・・・

上記の(表紙は表示されていませんが)「好色なトルコ人」という作品は、タイトルからは想像しにくい内容ですが、白人の貴族の令嬢(勿論処女です)が、海賊に襲われて拉致され、イスラムの太守(一種の地方軍閥の族長?)の下に貢物として送り込まれ、後宮(ハーレム)の女として囲われてしまい、犯され悦びを教えられる・・というストーリーで、私はその「貴族の処女の令嬢を拉致して監禁し、後宮の女として犯し続ける・・・」というsituationに、燃えたものです。

しかも、私自身、勉強好きで、既にこの時点で世界史にも詳しかったものですから、ある意味で、自分の中でよりリアリティを以て、読んでしまったのを覚えています(こういった所でも、知性や知識は、より淫らな欲望に奉仕をしてしまうものだということが、お分かりでしょう)。


「時代は19世紀初頭、アルジェの後宮を舞台に展開される愛欲絵巻。運命のいたずらから、女奴隷として売られた三人の乙女が、その清く堅い花の蕾を、好色の太守アリのむくつけき胸の中で一輪一輪と無体に開花させられるといったお話。ひとたび処女という名の砦を失った乙女たちの、しかしこれはまたなんたる痴態か。悲しい女の性を思わせるエレジーでもある。」といった紹介フレーズが付記されており、この表現だけでもそそられた記憶があります。

ここでは直接引用しませんが、ご興味を持たれた方は、是非検索などなさって調べてみて下さい。


まだ14歳そこそこだった私は、このような書物に触れ、そして何度も読み込んでは、悪漢に感情移入し、美しい令嬢や処女を略奪し、拉致し、監禁しては凌辱し、(その時には、そこまでの認識はしていませんでしたが、結果的に今振り返ると)調教してしまいたい、という淫らきわまりない妄想で、下半身にどうしようもない疼きを覚えては、まるで悪魔的に毒蛇のような姿をした、朱色に染まった若い肉の柱をそそり立たせ、行き場の無い強欲な、欲望の白濁の樹液をそれはたっぷりと迸らせていたのでした。

そんな私が、S性癖に自覚的に気付くのは、それからまもなくのことです。。。

(つづく)

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さて、早速何から触れましょうか?

「余は如何にしてSM愛好者と成りしか。」

勿論、このフレーズは、内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』をもじったものです。
余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)
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これまた古典を引き合いに出し恐縮ですが、私のS性を説明するにあたって欠かすことができない要素として、私がSMというものにどのようにして惹かれるようになったのか、どうして私がSM愛好家となったのか、なかんずくS性向の男となったのか?

そもそもの、性への目覚めの頃からの話をさせていただきたいと思います。

それは、私の性愛的生活の哲学的考察をはじめるにあたって、森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』(vita sexualis)さながらに、私がSMに惹かれるようになったのは、どのような経緯によるものであったのかを語ることが、その根源的なものを解釈するにあたって有益であると思えるからです。

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)
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・・・もっとも、その経緯は特に特殊なものではなく、おそらく割とありきたりのものであり、多くのS男性が辿るものとして比較的典型的な流れではないかと思いますので、陳腐な話に見えるかもしれません。

しかし、裏を返せば、私の言葉を辿ることによって、女性から見て、S男性がどのようなことを考えているのかを窺い知るのに、良い事例となると言えるのではないでしょうか。

あるいは、S/Mのいずれを問わず、同様の体験や経験をしてきている方なら、何か思い当たることもあるかもしれませんね・・・。

何か面白いもの、刺激的な何かを発見していただければ、幸いです。

********************

私は、母親が比較的宗教的な人間だったことと、かつ、その実家が厳格な家庭だったこともあって、
息子の私においても、かなり道徳的な面については厳しく躾けられました。

すなわち、よく躾けられた優等生だったわけです。

そして、嘘を吐くこととか、人をごまかしたり出し抜いたりして自分が優位に立つようなことはことごとく禁じられてきました。

そして、私自身は、母親にとっては言うことを聞く、そして勉強のよくできる(常に2学年は上の内容を自分で勝手に勉強していましたから、学校で習うことは常に退屈な時間潰しの連続でした。ただし、家が貧しかったため、私立の小中学校に早くから受験して進学する機会を得ることはできませんでした。)、「良い子」だったわけです。

一方で、父親はどちらかというと酒浸りでだらしない面があり、そんな厳格な母に叱責されるような男でした。
おそらく両親の間には、リアルにはそのような関係性は無かったのだろうとは思いますが、表面上は、母がSで攻撃的な立場、一方で父はM的で弱腰な立場だったように思います。

    *****

ところが、そんな父でしたが、おそらく多くのSM愛好家のご多分に漏れず、やはり私も、最初は父が家庭内に持ち込むポルノ小説、ポルノ雑誌、ヌード写真の掲載された週刊誌等に触発されて、性の目覚めを知覚したものでした。

おそらく、私が最初にオナニーをしたのは、父が持っていた川上宗薫のポルノ小説の単行本でした(タイトルは忘れました。どなたか、お読みになってお分かりの方がおられたら、ご教示下さい)。

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まだ快楽を知り始めたばかりの小学校5年生の時のことで、十分に精液すら射出することなく、ただ脳髄を走るえも言われぬ鋭い悦楽に、浸るだけだったのを記憶していますが、おそらく、今ならそれほど興奮することも無い、比較的ソフトなポルノだったように思います。

ただ、少しだけ記憶にあるのは、主人公のヒロイン(日本人女性です)が交わるのは、チェコスロバキア人の男性(確か、名はバーツラフ -Václav- だったように記憶している)で、すなわち異人種・白人種との性交、異種混交という、無垢な少年少女にとっては、単なる性行為にとどまらない、おそらく特に刺激的なものだったことです(この点は、記憶としては定かではありませんが、ただ、実際に白人のペニスの勃起状態を見たことは無いので実際はどうなのかわかりませんが、小説描写の中で、「白人男性のものらしく、日本人男性よりも薄く白く充血した様子がはっきりと見て取れた」といったようなものがあったように思います。実物をご覧になったことのある方は、本当にその通りなのか、是非ご教示下さい。残念ながら、大きさについての描写があったかなかったか、あるいはどうだったかは、記憶にありません。)。

また、ここで面白いことに、日本人女性につきものの「白人コンプレックス」「外人コンプレックス」の屈折した投影ということになるのでしょうが、白人男性に犯されて悦楽を得る日本人女性の姿、、、という描写に対して、この時点で早くも相当の嫉妬心を抱きながら読んだ記憶がある、ということも付記しておきましょう。

更に、この小説の中では、(チェコ人との交わりではなく、日本人男性との性交シーンだったかと思いますが)女性が、バスルームで全裸で無防備でシャワーを浴びている所に、男性がひそかに忍び寄り、半ば奇襲を掛け騙し討ちのようにしてバスルームに突然入り込んで女性に全裸で襲いかかり、それに驚いた女性が「いやあっ・・・。」と悲鳴を上げる、そしてそのままバスルームの中で行為に及ぶ、という、いささか強姦じみたシーンもあったように記憶しています。
勿論、この男女は、ストーリーの中で、お互いに性行為に及ぼうとしていたことははじめから予定していた訳ですが、それでも、この女性にとって、奇襲的に男に歩み寄られることはさすがに予想外だったようで、そこから生じる戦慄と刺激に、この女性は思わず羞恥の悲鳴を上げた訳です。
そんなシーンと女性の反応に対して、私は早くも自らの感受性と共に、刺激を受けていた訳です。

勿論、その他の性行為シーンも様々描かれていたのですが、よりにもよって私の記憶にあるのがこのような「異種混交性交」、そして「騙し討ち的強姦シーン、そしてそれに対する女性の悲鳴は「いやあっ・・・。」という典型的な羞恥の言葉」だったことは、私の中に、特に嗜虐的な手段で女性の羞恥を刺激するような、そして、少々通常とは異なったシチュエーションを好む傾向が既にして存在していた、ということなのかもしれません。

それにしても、本能と呼ぶべきでしょうか?オナニー行為は、誰から学んだ訳でもこうした春本から知ったものでもないにもかかわらず、自然に自分で考えては、未だ包皮に包まれたままの男根をふくらませ、そしていじっていたのでした。
勿論、「自慰」「オナニー」「マスターベーション」といった言葉の意味もわからず、自分の行為がそのような言葉で定義されることを知ったのは、しばらく後のことでした。

    *****

しかし、まもなく、私は気づくようになりました。

父親とは、私はあまり外見的にも内面的にも似ておらず、母親側の血が濃かったのでしょうか。

当初、父が隠し持っていたポルノ小説は、上記の川上宗薫のもののうち、件のシーンを別にすれば、例えば美少年が女教師に誘惑されるもの、つまりは、SM行為が無かったとしても、男が目上の女性に調教されるようなsituationのものばかりだということに気づきはじめましたのです。

そして、そんな父の好みとは全く異なり、私は、そうではなく、美少女・処女や令嬢・令夫人がヤクザ者に暴力的に蹂躙され、強姦されるような内容のものばかりに目が行っていたのでした。

父親が買ってくるポルノ雑誌というものは、それこそ、SMだけでなく、ロマンチックなソフトなポルノモノ、学園モノ、処女破瓜モノ等、あらゆるポルノのジャンルを取り揃えていたものでしたが、それが単行本になると、何故か上記のような年上女性モノばかりなのでした。

ですから、父親の隠し持っていた単行本は私には概ね退屈でしたが、雑誌にはあらゆるタイプ・ジャンルのポルノが総花的に掲載されていたことから、(おそらく父の趣味とは正反対の)SMモノや凌辱モノは、雑誌媒体を通じて、私のオナニーネタになっていったのでした。

しかし、それを以て「自分のS性癖」を自覚するには、まだ私は幼な過ぎました。

    *****

小学校の高学年にもなり、射精も始まる頃になると、女子よりもやや遅れて性に目覚める男子といえども、耳年増的に性的な変態性について詳しくなる者も出始めます。
そして、それは決まって成績優秀な者なのでした。

実際、私のクラスの同級生にも、のちに地元の進学校に共に進学し、やがて東京の名門大学に進学した男がいましたが、彼はよく折に触れては、「サドマゾ」「SM」「ホモ」「レズ」等と、変態性癖を表す単語をよく口にしていたものです。私など、それを聞いては、「そんな言葉を口にして一体何が楽しいのだ?」と思うばかりでしたが、基礎知識として、「SM」という変態的な性愛行為があるのだ、ということだけは知るに至りました。

おそらく、その同級生は、「学校で習うようなことばかりでなく、こんなことだってオレは(お前たちのような劣等生と違って)知っているんだぜ」ということを態度に表しては優越感に浸っていたのでしょうが。。。

ともあれ、そのようにして知識としてインプットはされていた「SM」という行為と、自らの性癖とが自分の中でリンクして認識されるのには、今しばらく時間がかかったのでした。

しかし、私の場合、今振り返ってみれば、私の中でのS性癖はおそらく母親から受け継いだ可能性が高く、
それに対置する父親のM傾向に対して違和感を持ったことを通じて、浮き彫りになっていったのは確かだ、とは言えるでしょう。

やはり、父はM傾向だったのでしょう(実際に両親がSMに及んでいたかどうかは知りません。おそらく、それはないでしょうから、あくまでも願望のレベルにとどまるものと、推測してはいますが。事実は存じません。)。地方都市の大家族で末弟として生まれ、女教師を母親(祖母)に持ち、実際に年上の妻(母)と結婚した父親です。どうやら正面から女性に甘えかかり、たとえキツく叱責を受けたとしても、それに隷属するのが悦びになるような、そんな男だったのだと思います。

これは、私とは正反対の性癖です。
唯一共通するのは、年長の女性でも、私は構わないということです。
ただ、異なるのは、接し方の好みです。
私は、確かに、女教師や女性の先輩をも妄想の対象とはしましたが、あくまでも凌辱する・調教する、という妄想であって、そういう方向では数限り無く、妄想したものです。この点は、「ママやお姉さんの前で坊やになりたい」父親とは正反対です。

何しろ、この当時、既に父は現在の私の年齢(40代)だったのですから・・・。
そんな年齢の男が、坊や扱いされるポルノが好みというのは、ちょっと私は好きになれませんから。


実際、長年父親を見ていて、男として理解できないと思うことは多いものです。
勿論、母親のことも、理解できませんが・・・。


 *****

さて、長くなりましたが、そんな私が、本格的に「SM」というものに惹かれていくのを自覚したのはどのような経緯であったのか、どのような想いを抱いたのか、それと並行して、女というものに、どのような好奇の目を向けるようになったのか。

それらについては、次回からお話しすることとしましょう。

今回は、これまでといたします。





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近年「SM」という言葉自体に抵抗感は減り、気軽に「ドM」といった表現がされるようになりました。
しかし、それゆえにかえって本物が見失われていないか?
依然として、真にM意識を自覚する女性からは、むしろそのM願望は決して満たされていないということはないのか?


そんな問題意識・危惧を抱くようになっています。

当方は、S歴およそ20年に及ぶ者です。
しかし、ひたすら実践派、実務派の方々からすれば、ひよっ子同然です。

ただ、その代わりに、こんなことを考えてきました。。

女性が、自らのM願望を自覚する時、どれだけ恥ずかしい想いをするのか。

その想いをどうにかして伝えたい(できれば、理解あるS性癖の男性に知って欲しい、そして・・・という想い)が、どうしてもその想いは伝えようもない、一方で、伝えたいのに、伝えること・知られてしまうことへの恐怖感との狭間で、どれほど葛藤に苛まれるのか
しかし、やがてはその葛藤さえも、ご自身の中では、一種の悦楽とさえ化しているということはないのか。

ステディな関係の男性が出来た時、できればSであって欲しいと、そうは思うだろう。
でも、確かめようもない。
あるいは、そんな相手に、自分の願望を知られたいような、知られたくないような・・・。


一つは、そんな女性の想いを、できるだけ汲み取ってあげたい。
それは、私の中では、自分が調教したいという想いと決して無縁ではありませんが、必ずしも、そうなるとも限りません。

また、こんな想いで、この記事を読まれている女性もあるかもしれませんね。
何かの機会や偶然で、SMに関する記事やグラビア、小説等を見てしまった・・・
その日から、脳裏からSMが離れなくなってしまった・・・

そして、思い出すとドキドキして止まらない・・・
考えてはイケナイ、そんなふうに思うとなおのことドキドキしてしまう・・・


あるいは、嫌なはずなのに、気になって気になって仕方がない、まるで怖いもの見たさのように、時折SMサイトを覗いてしまう・・・

未経験なのに、いえ、未経験だからこそ、そんな禁断の世界にドキドキしてしまう。。。


そんな想い、きっと抱いておられる方は多いのではないでしょうか。

そして、それが高じて、そんな世界を妄想しながら、自慰に耽ってしまう自分に気付いていた・・・

それだけに、「ドM」などという単語が会話や文字の中に出てくると、まるで自分のことを言われているようで、人知れずドキリとしてしまった恥ずかしい心理を、隠そうと焦ってしまったり。。。

あるいは、普段は高学歴・優等生・知性派である立場にある方が、そんなプライドがある一方、SMに惹かれてしまったがために、ますます自分の中では恥ずかしさが増してしまった・・・



どれも、ご自身のことを図星を指されて、それだけでドキドキしてしまった方もあるかもしれません。


そして・・・それらは・・・どれも「イケナイこと」・・・?


そうですね・・・。

その通りなのだと思います。
結論だけ、先にはっきり申し上げます。

「SMは、イケナイこと」です。
「そんなイケナイSMを妄想・夢想してしまうなんて、とてもイケナイこと」です。貴女は、分かっていたはずです。


「イケナイこと」とは思わない、思えない方は、私との会話には不向きかもしれません。

ですが、待って下さい。
「イケナイこと」ですね、はい、私は悪い女です、で終わりにしてはいけません。

なぜなら・・・
それで終わりにしたところで、貴女のM願望は失せるのでしょうか?
おそらく失せないでしょう・・・。
むしろ、より強くなってしまうことの方が多いのではないでしょうか?
ならば、「イケナイこと」であるとはっきり認めた上で、より冷静に、より真剣に、しかし、より悦びを見いだせる方向で考えることの方が、建設的なのではないでしょうか。

変態か、変態でないか。
あるいは、異常か、正常か。
そこの境目等、誰にも分からないのですから、「イケナイ」と思いつつも、それが直ちに異常となるわけではないと思います。

なるべく、穏やかに考えていきましょう。

その、躯の芯に燃える、あるいはくすぶる焰を、大事に考えていきませんか。
それも、貴女自身なのですから。


私は、決して精神分析や心理学の専門家でも、精神科医でもありません。
ただの素人ですから、学問的には不正確なことを申し上げるかもしれません。
所謂一般教養のレベルでしか、SMを語る術はありません。それすらも、不正確な認識と知識の上でしか言えないかもしれません。

ですが、私なりに、それなりに長年の間における個人としての恋愛や性愛、SM経験と、それらに対する自らの拙い考察を通じて、まじめにそんな女性の心理について分析していきたい、そして、自らのM性に戸惑い、あるいは嫌悪さえしながら、あたかも蟻地獄のようなこの甘美な世界に惹かれてしまう貴女の、その心が救われるような方向性を、何らかの形で提示していけたら、とは思っています。

ですから、ここでは例えば緊縛等についての高度な技術論は扱いませんし、また、扱えません。

そうです、ある面で、私自身「妄想S」の領域から抜け切れていない面もあります。
実践派の皆さんからすれば、あまっちょろいと言えるでしょう。そのようなご批判も、ありうるとは思います。

しかし、これもよく言われる一般論ですが、「SMとは多様であり、多様さ故に、SMの定義には論争がありえ、また、SMの理解の仕方も異なる」と言われますので、そこは大前提として、異なる理解の仕方があったとしても、お互い許容したいと思います。

そして、私は、少なくとも「妄想」の無い所に真のSMはありえないと思っていますし、また、知性の無い所にもSMは無いと思っています。

例えば、物理的にハードなSM行為というものも、私自身決して方法論としては否定はしませんし、私自身も時として要求するのですが、しかし、そんなハードな行為も、それ自体が目的だと捉えるのではなく、そのような行為によって、男も、女も、何を得たいのか、言い換えれば、そこにあるであろう「その人の何か」を見出したいと思っています。

勿論、それを見出したところで、何の救いももたらさないかもしれません。

しかし、それを見出す事自体にもまた、悦楽はある、私はそう考えています。

人は、「想う」「思考する」「プライドを持つ」という精神作用を行います。
そのこと自体が、SM行為の根源にあることに変わりはないと、私は考えるからです。

(私自身、大学院を修了した自称プチ・インテリですが、同様に、ご自身のintelligenceに多少なりとも自信や誇りのおありの方なら、よくお分かりではないかと思いますし、そのような方の来訪を歓迎します。でも、論争はしたくありません。できるだけ、共感できる方向でお話しをしたいと思っています。)

そのことの意味が分かる方なら、男女を問わず、私の意見に基本的には賛同して頂けるのではないかと思います。


念の為、私とは「感性的に遠い所で」SMを把握され、自らをS/Mと自認されている方との意見の相違や無駄な論争を避けるために、敢えて私の好む調教手法等を一部列記しておきます。

[○]:縛り、拘束、首輪、言葉責め、拘束、命令フェ、露出、バイブ、アナルF、アナルバイブ、放尿、目隠し、乳首責め・乳首噛み、洗濯鋏、軽い浣腸
[△](状況、細かな手法、相手次第で変わる):蝋燭、脱糞、3P以上、量的に多い浣腸
[×]:逆さ吊り・宙吊り(テクニック的にも無理)、切断、刺青、その他障害をもたらす虞れのある行為一般

その他、ご経験のおありの方なら、このような一般的なカテゴリーにおさまらない、ありとあらゆる調教手法というものがあるのはご存知かと思いますので、それらについては適宜記事の中で触れていくこととします。

***********************

・・・さて、コトバ遊びが過ぎたようです。

しかし、SMとは、妄想を基軸として、コトバを媒介にして成り立つものです。
ですから、その「コトバ遊び」が若干理屈っぽい方向に行く場合もあるでしょうが、ご容赦下さい。

さて、前置きが長くなりましたが、これから、毎回、自分の体験も交えながら、SMを感じるようになったきっかけや、日常におけるSM的な場面、いろいろと語りながら、できるだけ更新に努力して参りましょう。

M女性の対極に位置する、リアルS男性の想いとして、私自身の経験や想い、つまりは何を考えているのか、どんなことをしてきたのか・・・等も必要に応じて語りましょう。何か面白いものを見出せるかもしれません。あるいは、M女性としても、それ以外の性癖の方からも、何か思いを致すことはあるかもしれません。

グラビア等は、基本的には掲載しないつもりです。
ひたすら、文字の上から、想いを募らせて下さい。
(SM小説等のコンテンツについては、当然のことながら、適宜コメントしていくことになろうかと思います。)

よろしくお願い申し上げます。
************************************

その他、いくつか注意点、前提を申し上げます。

1.私自身、現在奴隷を保有しないフリーのS男性であり、決してSM的出会いを求めていない訳ではありませんが、ここでの主目的は、そこにはありません。あくまでも、私の知的好奇心の一環としてのSM、なかんずくM女性の心理についての分析にあるからです。

2.私自身のことであれ、その他の第三者を対象とするものであれ、誹謗中傷をなさる方の出入りはお断りします。誹謗中傷があった場合は、無視するか、当方により一方的に削除し、また場合によっては然るべき措置を採らせて頂くこともあります。また、常軌を逸したと思われる表現についても、同様です。コメントへのリプライも、当方の任意によってさせていただきますので、求められても必ずしもお返しするとは限りませんので、ご容赦下さい(真摯なものには、原則として対応いたしますが、稀に見落とすこともあろうかと思います。予めご了解下さい)。

3.業者目的の方や、迷惑的な書き込みの目的での出入りはお断りします。

4.当方も、業務目的は一切ありません。個人的に、SM的コンテンツ(映像作品、小説、写真・画像、ゲーム、その他)についてコメントを寄せることはあろうかと思いますが、あくまでも趣味・個人の嗜好の範囲内での批評や言及ですので、何かを押し付けることはいたしません。

5.内容の性質上、どうしても品の無い表現を避けることができないことも多々あります。
しかし、「知性的に・理性的にSMを、マゾ女性の心理・願望を追究する」というテーマからは、できるだけ卑猥過ぎる、直截過ぎる表現は避けることを考えています。万一、多少逸脱がある場合は、ご容赦下さい。

6.未成年の方、読まないで下さいね。。。また、ご自身の行動に責任を持てない方も。そして、これを読まれても、決して犯罪行為に走らないで下さい。そのような事態は、私の本意とするところではありません。

以上、私も決して「絵に書いたような紳士」ではありませんが、できるだけ「真摯」に、続けていきたいと考えています。よろしくお願いします。




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Information

incubus2012
  • Author: incubus2012
  • 40代男性。
    カテゴリーとしてはソフトS。
    しかし、物理的にはともかく、心理面においては相当に追い詰める責め、言葉責めを徹底して好む。
    ご多分に漏れず、少年期にSM雑誌等の影響を相当に受けている。
    好きなSM作家はやはり団鬼六。
    国立大、大学院出の自称・「プチ・インテリ」。

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